アメリカの16歳から学ぶ。
ハロウィーンも終わり、大統領選挙の熱狂も一段落して、秋の深まりを感じられるこのごろです。日本ほど四季がはっきりしていないサンフランシスコでも道に落ち葉が舞い、冬が近いのを感じさせます。
長い間日本とアメリカのビジネス環境の違いやアプローチの違いについて考えてきました。日本とアメリカの間に教育のレベルに違いがある訳ではなく、生活習慣にそれほどの違いはありません。それでも、アメリカの「発明マインド」「起業マインド」に日本が追いつかないのはなぜでしょう? さらに、日本が「品質マインド」「サービス精神」でアメリカに2歩も3歩も先を行くのはなぜでしょう。
どちらがよいかという結論を出すつもりはありませんし、優劣を付けること自体無意味でしょう。また一部で主張されている言語の差で、「日本語は非論理的で英語は論理的だ」という意見には私はまったく賛成できません。アメリカ人で英語がネイティヴで、非論理的な人はいっぱいいますから。
この疑問ある程度の答えをくれるできごとが最近ありました。仕事での外出から戻って、地域の会合に出様としていた時、誰かドアをノックする人がいます。開けてみると15-6歳と思われるアフリカ系アメリカ人の少年が立っています。どうしたのかと聞いてみると、「高校で勉強を続けるのと大学へ進学の支援者を募っている。ここにサインして新聞を取ってくれると僕の支援者になれます。いかがでしょうか?」という。時間がなかったので改めて来てみてくれというと、おとなしく立ち去りました。
地域の会合から戻って夜10:00近く、またドアをノックする人がいます。あの少年でした。ちょっと今日は遅いので明日にしてくれないかというと「今日が支援者を募る最後の日なので何とかお願いします」。
結局支援者にさせられましたが、彼が去った後、日本の高校生にこういうまねができるだろうか? と考えました。独立心、自分の学費を自分で工面しようというメンタリティは立派です。この辺の教育の差がその後のメンタリティの差になってくることは事実でしょう。
筆者の執筆活動:
カリフォルニア在住ブロガーレポート「California Fine Days」
http://www.olivemart.net/news_ex/newsdisp.php?m=0&i=11
ニフティ語ろ具「サンフランシスコ歳時記」
http://golog.nifty.com/
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コメント
「ホームレス中学生」がベストセラーになった日本ですが、その主人公は先ず最初に「耐えます」「我慢します」、そしてその日々を乗り越えた後、ある日善意の第三者から「与えられ」「助けられます」
もし、この「我慢」の時期がなく、もし即主人公が”この16歳の高校生”と同じ様な行動していたら、果たしてこの本はこれほど売れたのだろうか。
そんなことをふと思いました。
やり方、表現の仕方が、2国間では根本的に違うのでしょうが、でもいったいどこからそういう違いが起こるのでしょうね。
分かっていることは、少なくともこの”16歳の高校生”はりっぱにシンプルに自分の力で生きていこうとしている。
対して我慢する”ホームレス中学生”は、もし善意の第三者が現れなければどうなっていたか分からない。
これを文化の違いとするならば、いったいどのように解釈しましょうか?
投稿: sasamoto | 2008年11月21日 (金) 21時30分
sasamoto-san: コメントありがとうございます。日本の文化の中には一生懸命行動すると必ず救われるという他動的なコンセプトが根強くあるような気がします。どこの文化にも、アメリカにもこういうコンセプトはあるのですが、日本の場合は他の文化に比べて強いように感じます。
一方、アメリカのような多民族国家では基本的に自助努力が社会からの救いの手よりも強い意識として存在することは事実でしょう。強い表現をすると「手を挙げて私を救え、と叫ぶから救われる。」、ちょっと日本では考えられないアプローチです。バイブルの「求めよさらば与えられん」という有名な一節も実は「求めよ、与えられるまで、求めよ」と訳した方が近いということです。
このように基本的な社会とのかかわりの差異がそれぞれの文化の特徴を創り上げているようです。アメリカ的文化は起業人を生み、日本的文化は企業人を作り上げるのもこの辺のバックグラウンドの違いから来ているようです。
またコメントして下さい。ご返事に時間がかかって申し訳ありませんでした。
投稿: shaw funami | 2008年11月23日 (日) 00時56分